1873年に都市公園制度が設けられ、その2年後の1875年に開園した西公園は2025年6月に150周年を迎えました。
仙台市で最も古い都市公園として長年愛され、市民それぞれの思い出があふれる場所である
西公園の様々な景色を次世代へ思い出の記録として残すべく本誌を発行することとなりました。
手に取っていただいたすべての方に笑顔になっていただければ幸いです。
1873年に都市公園制度が設けられ、その2年後の1875年に開園した西公園は2025年6月に150周年を迎えました。
仙台市で最も古い都市公園として長年愛され、市民それぞれの思い出があふれる場所である
西公園の様々な景色を次世代へ思い出の記録として残すべく本誌を発行することとなりました。
手に取っていただいたすべての方に笑顔になっていただければ幸いです。
西公園 開園 150 周年おめでとうございます!
この冊子は良い記念になります、形にしてくださりありかとうございました。
100歳の義父と昔話に盛り上がりました。大正14年生まれなので、小学生だと昭和6年頃の思い出になるのでしょうか、義父の話を耳で聞いて想像していたことを写真でまとめて見ることかでき興味深かったです。各方面からの資料を掲載していただき興味つきませんでした。
市民にその時々の思い出を作ってくれた場所だったのだとあらためて思い、またこの令和の時代からみえる変遷を残す冊子となり記念になるなぁと思い楽しく拝見しました。「この町の方々の心意気のよすが」は御譜代町の櫓だけではなくこうしてこの冊子も残るのですね。
そして最近の地域の魅力もまとめられていて、今を生きる御譜代町の多彩な活動を興味深く読みました。商店絵図もお馴染みになっておりますね〜。
地元で親しまれているお店の紹介がQRコードというのも今様です。車で通る時に気になっているお店を早速チェックしましたよ。また写真や地図が多く使われていたので、初めてその場所を知る人でもイメージしやすい工夫がされていました。
感激したので「一人心の中にしまっておくよりは」と綴りました。
町の温かい雰囲気や人々の暮らしとお店のご発展が続きますように・・・ 普段はあまり意識をしない地域の長さに気づくことができました。
西公園について思うこと
仰げば高し天主台
俯せば流れも広瀬川 桜が岡にとなりあう
ゆかしき庭に今立てる 校は開きし古の
その立町の名を変えず
土井晩翠先生作詞の立町小学校校歌です。
私が立町小学校に通っていたのは昭和20年7月の仙台大空襲までで、大町3丁目の自宅より、大町頭(西公園の南端)を右折、
左手に西公園を見ながら櫻岡大神宮の北隣にあった立町小学校に通っておりました。
曽祖母に源吾茶屋のごま餅を食べに連れていってもらったものでした。
桜の季節だからといってお花見で賑わうことはなかったです。
但し、6月10日の櫻岡大神宮の夏越まつりには大勢の人で賑やかでした。
今でも西公園を思う時は櫻岡大神宮であり、立町小学校であり、そして源吾茶屋です。 大手門立派でしたね。
西公園に歴史がいろいろ分かりためになりましたし、昔の写真が多くあって見応えがありました。
景色がきれいな所がたくさんあるので、改めて見て回りたいと思いました。
この周辺には、飲食店も歴史のあるお店や新しいお店がいろいろあるので、お気に入りのお店を探しに散策したいです。
開園150周年記念 西公園アーカイブを読んで
私と西公園の関わりは昭和20年7月10日の大空襲であった。当時、4歳を迎えた私と兄(7歳)弟(1歳)は母の庇護の下、肴町の藤崎デパートの社宅に住んでいた。父は召集されて北海道にいた。空襲が始まり母は弟を背に兄と私の手を引いていち早く評定河原へ逃げた。途中、西公園の角にあった立町小学校が火に包まれて崩れ落ちる様を見たことは私の強烈な視覚記憶として80年を経た今も残っている。
その記憶は後に映画“風と共にさりぬ”の燃え盛るアトランタからの脱出シーンをみてあの時の西公園だ、立町小学校だと更新された。更に近年は仙台市戦災復興記念館所蔵の空襲絵(母子絵)を見ることで記憶が再度更新された。この絵のモデルは私たち家族だと勝手に思っている。書いてくださった画家、展示してくれた仙台市に感謝しています。
あの時の母は30代、この絵のようにきりっとしていたことだろう。あの絵をみると生きていることの幸運と生きる力が湧いてくる。
母は胸には水とコメの袋を首から下げていたとのちに聞いた。繰り返すが左右の手は兄と私、背には弟。母の勇気に決断に感謝。あの時に人生が終わらず良かった。
避難先は評定河原の野球場のある崖下だった。本誌P30に掲載された公園下の横穴式の防空壕に入った記憶もある。高校生になって一高・二高野球定期戦で評定河原に入った時はあの辺に避難したのかなと記憶をたどった。一夜限りの避難所を特定できるわけがない。
仙台を離れて60年余になるが私の記憶は仙台空襲から始まる。
★本文中の絵画「鎮魂・仙台大空襲」に関しては下記リンクからご覧いただけます。
せんだいメディアテーク「まちのギャラリー」
[外部リンク] ※平成10年(1998)年当時に調査を行い作成されたアーカイブページです。
この度は西公園アーカイブを懐かしくみせて頂きありがとうございました。
西公園また仙台の歴史を改めて知ることが出来てこの地に住んでいることを嬉しく有り難く感じます。
幼い頃は旧大町3丁目に住んでいたので、西公園までは遠く感じていましたが、今は私の散歩コースになりました。
何と言っても楽しみはお花見や花火大会です。また櫻岡大神宮様へのお参りは私にとって何よりも心の支えであり拠り所です。
仙台の歴史に思いを馳せつつ、ゆっくりと散歩したいなと思います。
今まで西公園を愛し、大事に守られてこられた方達に感謝しながら・・・
店舗にて「西公園150thアーカイブ」を頂いた者です。全ページ隅々まで熟読いたしました。
私にとって西公園及びその界隈は幼少期から現在に至るまでどの年代でも思い出の中心にある場所です。
駅前の私立に通っていた為学校にプールが無く、毎年夏になると家族と市民プールに行くのが楽しみでした。冊子の中であの懐かしいプールの写真を見て、駐車場へ続くカーブの道やプールの休憩時間のコンクリートの熱さや匂い、プール後にお菓子のスピンと焼きそばを買ってもらうのが楽しみだった事など思い出しました。
その他、今は亡き祖母や父と行った植木市の写真を見て、母と共に「毎年行って沢山買ったね」と忘れていた記憶も蘇りました。マンションの上から見た花火、会社帰りに行ったお花見、天文台、今より古めかしかった源吾茶屋、西部警察の撮影で来ていた石原裕次郎にはワシントンホテルのエレベーターで一緒になった事も思い出です。 幼少期から現在までずっと憧れで落ち着いた雰囲気のある大町。この町の風格を現在に至るまで損なわずに来れたのも、御譜代町商人組合の皆様達のご尽力のお陰だと思います。
私が生まれる前の市電の写真も興味深く拝見しました。そして、P.11の西公園通りのビルや家がまだ残っている事にも感動しました。最近では、緑彩館が出来たり公園が整備されたりと新しく変化していますが、いつまでも緑豊かな西公園であって欲しいと心から願います。
西公園での大切な思い出を振り返り、心が温かくなりました。感謝致します。
今回ご多忙の中、この様な冊子を発行していただきありがとうございました。
まち歩きが好きでいろんなイベントに参加してきたし、自分でも調べるのが好きでいろいろ知ってるつもり。
この冊子の河岸段丘のページ、とても良いです。安心して読めました。
このようなフリーペーパーには大体適当な内容が多くてひやひやしてしまうので。
見ていて一番見飽きないページは42-43ページの航空写真です。懐かしいものすべてが写っています。貴重です。
欲しがっている人はまだまだいます。私は入手出来て感謝です。ひっそりとみています。有料級ですね
ありがとうございます。数年前の第一弾の冊子も大切にしています。
[協力]
仙台市/仙台市戦災復興記念館/仙台市歴史民俗資料館/仙台市博物館/仙台市天文台/仙台市教育委員会/せんだいメディアテーク/仙台市建設局/仙台市交通局/東北大学資料館/青森県史デジタルアーカイブ/国立公文書館デジタルアーカイブ/仙台商工会議所/常盤木学園高等学校/Web汽車・電車1971〜/仙台市蒸気機関車C601保存会/宮城考古学情報/株式会社 鈴木鋳造所/仙台ツーリストインフォメーションデスク
御譜代町まちづくり実行会/西公園花見協賛会/日本酒と西公園実行委員会/西公園トレーディングマート実行委員会/西公園ナイトマーケット実行委員会
有限会社丹野輪業商会/株式会社 今倉畳店/今野不動産株式会社/有限会社 上村商店/株式会社SYK 遊佐さん/庄司和夫さん/元・お食事処和花菜 阿部さん/元・金三氷店 金森さん/宮本景太郎さん/山城さん/川合清重さん